アフリカ旅行(七カ国)日記(後編)

 E社の「アフリカ悠久浪漫の旅」に参加し、動物たちとも会えまた広大な自然を満喫出来た旅でした。
 お断り:この旅行記は、時間等を入れ文章が多くありますご承知のうえお読み下さい。

 
 今回のアフリカ旅行は4/3~4/20(18日間)で、ケニア・タンザニア・ジンバブエ・ボツワナ・ザンビア・ナミビア・南アフリカの7カ国を旅しました。
 
 
4月12日(水) 晴   ジンバブエ側の滝観光・ボツワナ出入国
   妻も風邪は完治し気分良く、5時前には二人とも目を覚ましていた。バゲージをしなくてよいので連泊は助かる。今日も強行軍なので早い。5時に添乗員さんのモーニングコール。 5時30分、池の見えるレストランでバイキング形式の朝食、池には今日はどんな動物がやってきているかと。朝早いので見えない。
 6時30分、今日はジンバブエ側からの滝を観光予定。昨日より一層水しぶきがひどいと説明があり、カメラ・ビデオの管理を十分しなくてはと気を遣う。昨日の経験から私達は日本より持参したカッパを着た。ずぶ濡れの失敗から反省点は、のど元を十分締め付け水が入らないと。滝を発見したリビングストーンの像の横を通り滝へ近づく。想像したほど今日はしぶきと風は強くなく、昨日より観光しやすかった。妻はカサをさしてしぶきをしのいでいたほどである。滝の水を体に受けるとより美しくなる?との説明を聞き、8時35分滝見学を終えた。雨期のあとで水量は多く、昨日・今日とも迫力満点の滝見物であった。

ビクトリアの滝(ジンバブエ側)
 再び車に乗りボツワナへhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%8A%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD  国境へは9時40分に着き全員下車。人は消毒液を含んだスポンジの上を歩き、車は消毒液のプールを通ることでOK。
  これからチョベ国立公園でドライブサファリである。動物たちがまた見られるのである。
  ドライバーが案内したホテルは違うことが分かり、トイレのみ済ませ別のホテルへ移動。10時20分、ドライブサファリーで2台(8人ずつ乗車)のオープン自動車(トラックの荷台のようにも)に乗りホテルを出発、ホテルのゲートを出た途端、イボイノシシが4~5頭道路を横断してくれるサービス。象・バッファロー・ホロホロ鳥・マンドース・インパラ・ガゼル・カバ・最後はキリンまでの多くの動物や鳥を見ることができた。ドライブ休憩では、水・ビールなどの飲み物サービスもあった。

サファリーカー

 

ドライブ中に姿を現した象
 
 12時30分、ホテルに帰り昼食。バイキング型式であったが、妻は内容がとても良かったと。また、添乗員さんから辛いソースを食べさせてもらい美味しい。帰国時の土産の品が増えたとか。
 13時35分、ホテル裏から乗船、チョベ川のリバーサファリーである。両岸のボツワナ・ナミビアを見ながら約2時間のクルーズで、小さく緑色の蛇を初めワニ・象・カバ・カワセミ・アフリカンフィッシュイーグルなどを船上から見ることができた。特に象の水浴びは近くまで船を寄せ、迫力ある写真も撮れた。

水浴びを見せてくれた象
 15時30分クルーズを終え、16時には再び国境へ。出国・入国を済ませ17時にホテルに帰る。
 部屋に帰る途中、兄たちの部屋から湿原の水辺でのんびりしている象の姿を見ることができた。明日は、南アフリカへ移動なので果物・種のあるもなどは持ち込めない。兄たちから、先日市場で求めていたマンゴーを1ヶもらい部屋に。充電や洗濯物を取り込んだあと、明日のバゲージの準備をした。窓からの夕日も綺麗であった。
 19時30分、ロビーに集まり夕食の場所へ車で移動。その間約5分。ただ
⑨S さんのご主人は風邪を引かれダウンされたとかで夕食は参加されなかった。
 ボマディナーで今まで沢山見てきた動物のワニ・イボイノシシ・バッファローなどの肉を食するとのこと。トウモロコシや雑穀で作ったどぶろくを飲み、バイキング形式で好みの肉を焼いてもらう。飲み物は一品サービスであった。

今まで楽しませてくれた動物たち(右下は毛虫?)
 毛虫の丸焼きを初めバッファローの肉なども食べたが、特別美味しいとは ?  ・・・・。
 近くに置いてある太鼓を大勢の人たちがたたき、ショーに参加していた。最後には踊りはねて楽しそうであった。21時35分ホテルに帰る。
 蚊取り線香をセットし、荷物の整理。22時20分頃ベットに入った。
 
4月13日(木) 晴  ヘリでビクトリアの滝・ナミビアへ
 5時30分頃には目も覚めていた。妻は昨夕戴いたマンゴーを切り食べさせてくれた。熟しており美味しかった。二人とも体調も良くコーヒーを飲める余裕もあった。
 6時モーニングコール、でも今までになく添乗員さんのトーンが低く気になった。
 6時30分、トランクをドアの外に出し、朝食は池の見える展望レストランへ。バイキング型式の朝食を今朝も美味しく食べた。妻もすっかり元気である。
 8時ホテルロビー集合。添乗員さんからの説明があり、予定ではセスナ機に乗る計画であったが、燃料不足でセスナ機が飛ばなくなった。(一瞬 え!! でも添乗員さんの顔は険しくない?)そのため、昨夜から色々手配をしてヘリコプターに乗っての遊覧とのこと。(良かったー)
 それで添乗員さんのトーンが低かったのかと納得。本人に聞くと寝不足とのこと。
 8時40分、ヘリポートに着き、4人ずつ4回のフライトになるとのこと。飛行時間約20分、名簿順で私たち兄弟4人は2番目の順と決まる。(兄は兄弟4人が死んだら・・・と心配はしていた。)4人ずつ体重を量り、水しぶきの上へ最初の4人が飛び立って行った。傍ではビデオカメラを構えた現地人、それぞれのフライト前後の姿をビデオに撮り、1巻35US$とか。
 最初の方達がピースをしながら満足そうな笑顔で下りて来られた。次は私たちである。 兄のカメラも時折写せるようになったと、搭乗前からスイッチONのまま。私はビデオを構えてパイロットの横に鎮座した。プロペラを動かす爆音と共に機体は上昇していった。今の時期、水量の多いビクトリアの滝は上空からも余り見えないのではないかと思っていたが、推測とは裏腹にとても壮大な滝に見えるではないか。機体の傾きに沿ってビデオの位置を変えるなど、興奮の時はあっという間に終わった。私たち兄弟4人とも大満足でヘリポートへ。途中、私たちが宿泊したホテル VICTORIAFALLS SAFARILODGEもはっきり見えた。他の2組もそれぞれ満足されていた。むしろヘリの方が良かったのかもしれない。ただ、一回の搭乗が4名で金額的には高くつくそうで、すみません。

ヘリコプターから見たビクトリアの滝

 

連泊したホテル ビクトリアホールズサファリ
 

フライとしたヘリコプター
 
 ⑩Kさん昨夜に飲まれたポットの氷水で、気分が悪いとか。
 10時10分、私たちもビデオを求めて大きいバスで空港へ。ビクトリア空港に10時35分に着き、歌も歌ってくれた親日家のジョージさんともお別れした。ありがとう。
 11時05分、手荷物検査で妻は「ピー」、何が原因か不明。私は今回は鳴らない。ベルトも別にしているためか。11時30分機内に、南アフリカ航空SA041便。11時55分離陸、12時10分には飲み物とランチが出た。南アフリカ ヨハネスブルグには13時21分に着いた。乗り継ぎのため空港ロビーへ。搭乗券を受取りフリータイム。再びE 旅行社でナミビア13日間を旅行された方達とばったり会う。これから香港経由で日本へ帰国されるとのこと。楽しい旅行だったと話を聞く。
 添乗員さんから南アフリカへの両替の話があり、日本円10.000円で480.95ランドに替えてもらった。これはナミビアと南アフリカで使用するお金である。
 16時40分30番ゲートに集まり、ナミビア共和国の首都ウイントフックへ行くためである。SA1735便の機内に17時15分入る。満員の乗客を乗せ17時32分には離陸した。
 K さん、今までになくしんどそうな顔で、顔面土色となっておられお気の毒。
 飛び立ち間もなく飲み物サービスもあり、Kさんには悪いが私たちはワインを飲む。サンドイッチも配られ、あっという間にナミビア ウイントフック空港
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF に着いた。19時25分。
 ナミビア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%83%93%E3%82%A2  入国審査も無事終わり、ターンテーブルの荷物を兄たちが纏めてくれていた。 ⑪私の小さい荷物1ヶのベルトがゆるんで出てきた。なぜか変なので兄の言うとおりその場で鍵を開けてみると、私のサングラスはケースから出ているし、E 旅行社のビニール袋に入れていた物も散らかっているなど中は混ぜたようである。「無いものは」と言われても何を入れたかは分かっていない。ただ、小さい南京錠を開け、中を開いて見た形跡ははっきりしいる。もう一人Oさんも開けられていた。
 19時50分、とてもいやな気分でバスに乗り込む。20時、バスは今日のホテル
カラハリサンズ(KAHALI SANDS HOTEL)に着いた。複合の建物内にあるホテルで、カジノもあり部屋に入る前にレストランで夕食を食べる。バイキング型式であるが品数や品質も今までになく良い感じであった。ビール18ランド、グラスワイン20ランドであった。21時過ぎ部屋に入る。余り広くはないが清潔な感じであった。今日ばかりは蚊取り線香のセット必要なし。いつものように充電をセットし、スーツケースを整理して22時50分ベットへ入った。
 
4月14日(金) 晴   ナミブ砂漠入口へ移動
 5時30分過ぎ目を覚ます。荷物を整理していた6時に添乗員さんのモーニングコールがあった。6時30分、スーツケースをドアの外に出し、朝食を昨夜と同じ綺麗なレストランで食べる。バイキング形式で品数が豊富。オムレツなども要望により作ってくれた。朝食を堪能し、バスに乗りホテルを8時に出発する。添乗員さんの提案で、2班に分かれバスの座席確保は前と後でできるだけ平等にと。良いことである。
 ウイントスフック市内観光で、最初に中央広場に行く。高い建物のルーテル派教会などを外から見学、その後豪華列車で有名な砂漠急行
(デザート・エクスプレス ナミビアの首都ヴィントックと大西洋岸のリゾートスワコップムント間を結んで砂漠と原野の中を走るナミビアの観光列車で、ヴィントック北部のオカプカ・ランチでライオンの餌付けを観察出来る。ヴィントック→スワコップムント列車は朝砂丘の近くで停車するので、砂丘に登る事が出来るし、スワコップムント→ヴィントック列車は夕方カーン・ヴァリーで停車するとか。
・・引用しました。)の発着するウイントスフック駅を見学した。あいにく列車は停車してなかったが、添乗員さんの交渉で、ホームへも入られた。
 Fさんがフィルム式のカメラが先日ダメになり、予備用に持参したデジカメは予備電池もとのことで「1日10枚しか取れないのよ」と、何処のメーカーかと聞くと、横に居たKさんが「俺のダメになったカメラの電池と充電器が使えるかも」とのこと。
 (その後、メーカーが同じで電池が使えたそうだ。人とはお互い話をしてみるものですね。)

ウイントスフック市内ルーテル派教会

ウイントスフック駅舎
 
 ホテルの近くまで戻り、スーパーに案内してもらう。水などを求め再びホテルでトイレを使い、10時前にバスに乗る。バスはナミブ・ナウクルフト国立公園の入口であるセヌリウムを目指し走る。11時20分頃⑫後ろに座っておられる方達が幾分霞んで見えた。添乗員さんもこれに気づき、昨夜私が座った後ろから3番目の座席下から風が入ってきているのである。対向車や自走する前輪の巻き上げる風で砂埃が入るのであった。 
 添乗員さんが応急対応をしながらバスは砂埃を巻き上げて走った。11時給油で停車したガソリンスタンド敷地にスーパーがあったので入ってみる。ビールも売っており、4.7 ラウンド(約100円)で2本求めた。容量は日本の小瓶のビールくらいで、キャップはねじれば開いた。
  11時50分頃、ソーシャルウィーバーバード(ハタオリドリ)大木に鳥の大きな巣(ハタオリドリが100羽以上住んでいる巣で、雨期の終わりに産卵し、巣の温度は15℃から20℃で鳥にとっては快適とか。)がある場所で昼食。ホテルより持参した弁当を車中で食べた。ただ、トイレはない。特に女性陣は木陰に交代で用を足していた。これを恥ずかしがってもいられない。(お気の毒)

ソーシャルウィーバーバードの巣
 12時30分再びバスは走り出し、時折ダチョウなどを見つけては歓喜ををあげていた。 途中、何度もロバを2頭立てで荷物を運んでいる光景を見ることができた。
 14時34分頃
⑬バス後輪左で内側のタイヤが大きな音を立ててパンクをしてしまう。そのまま走るしかないとのこと。

バスのタイヤパンク 
 
  15時35分頃砂漠の中にある建物が見え、今夜泊まるホテルと分かる。ソッサスブレイロッジ(SOSSUSVLEI LODGE)に着いた。

ソッサスブレイロッジ(宿泊したホテル入り口)
 
 客室は一戸建てのロッジで、部屋にはクーラーはなく扇風機のみ。そしてほこりっぽい。届いた荷物はバス後方の荷物入れで埃まみれとなっており、外に出してたたいて埃を落とした。空気が乾燥している様子なので洗濯をする。砂漠なのに水は綺麗で、ガスの瞬間湯沸かし器が各戸に付いていた。
 散歩をされている方もあったが、蒸し暑くその気にはならなかった。早めに屋外の食事の場所へ行くと、添乗員さんの薦めで今の時期しか食べられない「オリックスの干し物」で生ビールを飲んでいた。間もなく兄夫婦が来て同じように生ビールを飲み、4人分の代金100ランドを出してくれた。ありがとう。兄たちは先程、塔に登り夕日の沈むのを見たとのことでカメラで写したものを見せてくれた。とても美しい夕日であった。

兄が撮影した塔からの夕日
 
暗くなりかけた18時30分頃より屋外のテーブルでバイキング型式の夕食を頂く。ボトルワイン1本を4人で飲み、160ランド。Sさんのご主人風邪の具合も少しずつ良いとのこと。また、Kさんは薬が効いたのか少し具合が良いとビールを飲んでおられた。
 20時20分ロッジに帰る。室内はとても蒸し暑く、蚊取り線香をたきながら扇風機全開。今夜は電話もテレビもない。明日も早いので22時過ぎ扇風機を回しながらベットに入った。

 
4月15日(土) 晴のち雨   ナミブ砂漠へ登頂
 4時30分過ぎには二人とも目を覚まし、洗濯物をたたんで5時、添乗員さんがモーニングノックをしてくれた。
 5時30分から夕食の場所(屋外)で朝食もバイキング型式で食べる。6時15分集合し、6時20分、バスに乗りホテルを出発した。赤い砂丘が連なる砂漠を約1時間程度走り、ソスサスブレイに到着(駐車場のようなところ)、バスからトラックを改造したようなテント張りの車2台(8人ずつ)に分乗し、目指すデューン45へと走る。8時から登頂開始。砂を踏むとはまり、滑るなどとても歩きにくかったが頑張って登る。すぐ下りてしまうのはもったいないと半分以上の人たちが交代で記念写真を撮る。

ナミブ砂漠

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%83%96%E7%A0%82%E6%BC%A0

 

ナミブ砂漠
 
 添乗員さんは若くスポーツマンなので、あっという間に砂山を下りてしまう。私たちもそれぞれおり始めたら、次の山に登るのだとのこと。もう一度元気を出して砂漠を登った。砂はとても重く、風のいたずらでこんなにまでも砂のラインが美しくなるものかと、あらためて感動しながら下りた。再び車に乗ってバス地点まで。途中、両脇には小さく黄色い花(悪魔の刺)が咲き誇っており、小雨が降る中でカメラに収めた。

悪魔の刺

 バスの運転手の計らいで、添乗員さんも初めてというセスリウム渓谷(2000~1000万年前の川が干しあがり、出現した川床を雨期にできる小さな川が何千万年の歳月でできた渓谷。深さ30m)へ行き、私たち二人とA さんご夫婦のみ岩の上から下を見ていた。他の方は渓谷を散策された。

セスリウム渓谷
 12時、再びホテルに戻りトイレと昼食の弁当を食べる。生ビール大15ランド、妻は小10ランドを飲む。途中から雨が降り出したのでホテル内の集会室で食事をした。
 12時45分、バスに乗り一路スワコプムントへと走る。途中の大草原ではガゼル・インパラ・イボイノシシ・オリックス・ダチョウ・キリンなどの動物を見られた。
 14時35分頃大きな音と共に、添乗員さんの横の
⑭窓ガラスが粉々に割れた。対向車から石が飛んだのだそうだ。このバスでの事故や問題は3件となった。
 日差しのきつい15時、山道を下った所で車をおりて橋を渡った。雨期の名残で小さな川となって水が流れており珍しい光景とか。

雨期の名残の川(日差しが暑かったのを覚えてます) 
 再びバスは窓の割れや埃も気にせず走り続け、私たちは動物の出現に気を配った。
 17時15分頃、ウエルウィッチア(日本名 キソウテンガイ  アンゴラからナミビアの砂漠に自生する植物で、地球上で最も過酷な気象条件下で何千年も生き続けることができる植物)の花を見る。1.000年以上生き続け、葉は生涯4枚のみとのこと。雨も降ってきたので本日の見学予定の「ムーンライトスケイプ」の見学は明日に延期。

ウエルウィッチア(日本名 キソウテンガイ)
 雨の中、18時15分昔は列車の駅だったホテル スワコプムント(SWAKOPMUND HOTEL)に着いた。ホテルロビーには昔の写真など展示してあり、中庭には池もあった。一度部屋に入る。余り広くはないがこぢんまりしたきれいな部屋であった。
 19時30分雨の降り続く中、同じバス(3第要素のまま)に乗り海岸横のレストランへ行く。暗いが潮の香りと波の音が何とも言えず心地よかった。
 Kさんがいつものようにつまみを皆なに配ってくださった。旅行では毎日人数分のつまみを配っておられるとか。Kさんも体調が良くなったとビールを飲んでおられた。
 夕食はセットメニューで白身魚のソテー・海鮮シチューなど。ビール大15ランドと妻は小10ランド飲み、21時30分ホテルに帰る。
 荷物の整理などをして23時30分頃ベットに入った。
 
4月16日(日) 雨のち曇り ケープタウンへ移動
 習慣になったのか、5時には目を覚ましていた。モーニングコールは今までになく遅く7時30分とか。
 気がつくとドアの下に2度目のレポートが入っており、4/9から4/15まで分で、6ページから12ページまで2部あった。添乗員さんも疲れておられるのに大変だなと。
 朝も雨はひどく降っていた。6時40分、ホテル内のレストランでバイキング型式の朝食。海の町とのことで、添乗員さんから生牡蠣を勧めてもらうが、ここまで元気に来たのだからと我慢がまん。
 9時、雨の中ホテルを出発、9時50分昨日見学予定のムーンライトスケイプ(月面世界)に着く。運転手さんは10年以上観光客を案内したが雨の時は初めてとのこと。月面を思わせる(私は行ったことはないがテレビで見た)不思議な光景が広がっていた。雨のため約10分間ぐらいの滞在であった。

ムーンライトスケイプ
 
 ヴォルビスベイ近くの海岸へ停車し、道路を挟んだ海岸砂丘に添乗員さんと参加者最高齢65歳のIさんのご主人の二人が登られた。
 バスは塩田に近寄り、休日で操業していない塩田を見学。思い思いにピンク色の塩をビニール袋に詰めていた。妻も採っていた。(ただし無断で)

ヴォルビスベイの塩田
 12時25分、デューン7(砂丘)の横に車を止め弁当を食べる。砂丘では登る人あり、モータードライブを楽しむ人などいた。
 12時55分、ヴォルビスベイ空港にバスは着く。これより南アフリカ ケープタウンへ飛ぶのである。SA1724便。待合室はとても蒸し暑く、I さんの意見で涼しい外で待つ。
 ナミビア出国と南アフリカ入国カードを受取り、14時20分出国審査と手荷物検査。 SA1724機に14時35分搭乗、15時00分飛行機は離陸した。小型飛行機で14A・14Bで最後尾の座席であった。今回も早い機内サービスでジュースが出た。15時25分には軽食(ハム・マカロニ・クラッカーなど)。そして16時35分には南アフリカ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_africa/data.html  ケープタウンに着陸。バスで空港内へ着いた途端、妻がカメラは ? 
⑮機内から写真を撮っていたのは覚えており、着陸の時、肘掛けを下ろした所に置き忘れたのである。
 添乗員さんに連絡し、乗務員がすぐ届けてくれて解決。サンキュー・サンキュー。
 17時00分入国、17時07分には荷物を受け取る。時差1時間で、時計を1時間進めて18時07分。
 18時20分、迎えの大型バス、今までにない豪華バスでびっくり。ドライバーはアンドリューさん、ガイドは以前、大分県の外国語助手として過ごしたことのあるスゼットさん。日本語もできる。
 Sさんの荷物(南アフリカからケニア便)が遅延した手続きのためバスの中で待機。
 18時50分にバスは動きだし市内へ。19時25分、夕食のレストランへ着き、中華料理をいただく。次から次へと料理が出てあっという間に終わった。グラスワイン25ランド×2杯飲んだ。台湾系の中華のようにも思えた。バスに戻る途中、日本語で「寿司」とあっても日本人ではなく、韓国系の人に思えた。そのあと、スーパーに連れてってもらい水と先日添乗員さんから食べさせてもらった辛いたれ・スープなどを求めたが、商品を入れるビニール袋は必要かとのこと。有料である。2ラウンドとかで、私はバックの中からホテルのランドリー袋を出すと、数名の店員は大笑い。それもそのはず袋に印刷してあるのは「タイランドのホテル」であった。
 20時55分、今夜からのホテル ケープタウンロッジ(THE CAPE TOWN LODGE)に3連泊である。21時15分部屋に入った。長細い部屋で窓からは街並みが見えている。
 早速、スーツケースを開けて充電セット、洗濯もたまっていたので今夜しておくと明日以降はしなくて良いため頑張る。22時30分頃ベットに入った。
ケープタウン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
 
4月17日(月) 晴    ロベン島・ケープタウン市内観光
   妻が夜トイレに行こうとしたら電気がつかない。5時30分目を覚まして6時まで待って添乗員さんに連絡。間もなく点くようになる。何かの原因で電気の開閉器が下りていたのか。
 6時30分モーニングコールを受け、5F朝食会場のレストランへ行く。バイキング型式でありパンとヨーグルトは美味しかった。野菜はほとんどなかった。
 兄たちの話だと強風で木々が揺れ、鳥たちもとまっているのに大変そうに見えるとのこと。そう言えば風が強いと思った。
 8時15分、添乗員さんがバスの乗車順は全体を2班に分け、お互いが気持ちよく観光しようと言われ、バスの前後に座るようにと。ありがとう。
 朝から風は強かった。バスの前で沢山のゴミが舞い上がっていた。9時前に港に着き、ロベン島 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%B3%E5%B3%B6 行きの9時出航の船に乗る。一般客も多く乗っており、時折強風で海水を浴びている人もいた。9時35分、ロベン島着、島内案内のバスが待機しており、私たち18人(ガイドのスゼットさんも)乗り込んだ。
 バスで島を走り、建物などや労働の場所の説明があり、そのあと、監獄の内部の説明も受け、マンデラ氏の独房も見学した。この日も大勢の見学者でいっぱいであった。
ロベン島は1658年から1991年まで主に政治犯の監獄と使用され、後の大統領マンデラ氏も18年間ここに入っていたとか。

ロベン島監獄内部

 

ロベン島監獄外観の一部
  監獄見学後は港までそれぞれ歩いて移動する。
 12時発の船に乗り込むが、とても波が高く午後は欠航するのではないかとのこと。12時30分にケープタウンに戻る。12時50分、港のレストランで昼食、セットメニューで鶏肉の料理であった。赤グラスワイン30ランド×2、レストランを出たのは14時15分。
 続いてショッピングセンターへ徒歩で移動。自由行動とは言いながら添乗員さんとガイドさんがスーパーなどへ案内してくれた。
 早速、帰国してから飲むワイン3本・ルイボスティー1箱を求めた。ランドで求めたため持ち金ほとんどなし。あとはUS$かT/Cそして心配だがカードである。
 16時バスへ集合し、市内観光へ。市庁舎・南アフリカの立法府・中央公園では17時に黒人にケープタウンのダウンタウンを立ち去るよう鳴らした鐘も見学した。

中央公園の鐘
 18時頃一度ホテルに帰る。風は依然強いので今日も星空観察と市内の夜景展望はできないとのこと。
 18時45分ロビーに集合、バスで一回りしたが着いてみればホテルが見えるレストランであった。中近東風のレストランのようで、壺に本日のメニューが焼いてあり、ウエイトレスは顔にそれぞれ目立つ化粧(?)をしていた。また、食事前にウエイトレスが壺と洗面器を差し出し、手を洗うようにとユニークなお店であった。
 セットメニューも品数は多く美味しかった。赤グラスワイン25ランド×2、ランドがないため兄たちから100ラウンド頂き支払った。本日も堪能して21時47分ホテルに帰る。
 23時頃ベットへ。
 
4月18日(火) 晴   テーブルマウンテン・喜望峰・ドイカー島・サイモンズタウン
 5時50分頃に起床。天気は今日も良さそうで窓から見ても風は余り強くない様子。
 6時30分モーニングコール。朝食のため5Fレストラン行く、昨日とメニューはすべて同じである。でも美味しく頂いた。兄たちの部屋からテーブルマウンテン  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3 がよく見えるとのことで部屋に行く。窓の斜め向こうにはっきりと見える。早速、写真とビデオを撮る。
 兄たちは絵はがきを友人宛に沢山書いていた。
 8時ホテルを出発しテーブルマウンテンのケーブルカー乗り場へ。天気も良いし風も強くないので絶好の観光日和かと期待は大きい。8時30分頃にはケーブル乗り場へ着いた。韓国・台湾系と思われる方の団体も多い。事前の説明では、ケーブルカーは一回転するのでどの位置にいても市内を一望できるとのこと。そうでした、ケーブルカーからの市内の眺めはとてもきれいだった。ケーブルカーで山頂へ、山頂では自由行動、写真スポットで撮影。しかし頂上は風が強く、雲がすぐ下りて景色は替わりやすかった。眺めを堪能して9時20分過ぎ再びケーブルカーで下りた。

テーブルマウンテン(ホテルから)

テーブルマウンテン山頂とテーブルクロス
 
 バスに乗り、次はアザラシの住むドイカー島へ。9時50分頃港に着き、10時出航の船に乗る。ドイカー島へ船が近づき、アザラシを見た。多くのアザラシが昼寝をしていた。天気は良いが沖合は風があり、船も大きく揺れていた。観光船は10時40分頃には港に戻った。他の観光客で船酔いをした女性もいたほどだ。

ドイカー島のアザラシ(寝てました)
 買い物タイムもあり、港には多くの出店などがあった。
 11時05分、バスでいよいよ喜望峰へ。(ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見した際に国王マヌエル1世がポルトガルに喜びをもたらすだろうといって名付けた岬とのこと。) 12時保護地区へ入り、12時20分には喜望峰ポイント最南西端に到着。しかし、バスを降りると強風が吹いており、看板の所まで行こうとしても台風並みの風が吹いている。私もビデオカメラ片手に移動しようとしたところバランスを崩し倒れかけたが、運良く妻が手を引いてくれ転倒は免れ、兄たちと記念写真を撮ってもらうことができ満足。

喜望峰

 

喜望峰灯台
 12時45分、高台にあるレストラン TWO OCEANS で昼食。海を眺められ、インド洋と大西洋の交わる景色を眺められた。セットメニューでロブスターもいただく。ビール13ランド×2 
 14時00分、ロープウエイ前に集合し乗車、動き出すと眼下の景色も最高であった。 海の青さと緑、島の調和すばらしかった。自由行動で灯台まで行く。ここも風は強く写真を撮るのがやっとの状況。灯台から歩いて下りながらの撮影ポイント。兄たちはロープウエイに乗らずに徒歩で下って行った。15時、集合まであちこちで撮影。
 15時過ぎバスに乗りペンギンのいるサイモンズタウンへ。15時30分過ぎ到着し、ペンギン館まで徒歩で移動するが、ペンギンのいる海岸でも風が強く砂が舞あげられていた。
 私もビデオカメラなどに気を配りながら、ペンギンの写真撮影をした。

サイモンズタウンのペンギン館
 16時15分頃バスでケープタウンへ。途中、ドライバーのアンドリューさんの計らいで夕日を見ようとポイントを探してくれ、18時頃からサウスビーチで夕日の沈むまでのひとときを過ごした。海に沈むきれいな太陽が見られた。

サウスビーチの夕日
 
  18時45分、リッツホテル21階の回転レストランで夕食。セットメニューで白身魚のソテーなど。赤ワインボトル110ランドで手持ちの60ランドを兄に渡した。今日も美味しく頂いた。満足。
 20時20分、外は暗くなり、バスに乗り三日目にして念願の夜景見学に出発。高台へ移動し、まずシグナルヒルの夜景を堪能し、南十字星そしてニセ十字星を観察した。
 ケープタウンに着いた日から天候の具合で見られなかった星空がやっと見られたのである。
 21時20分、今日も満足してホテルに帰った。最後の予定表を受け取る。
  部屋で、今回の旅行について、旅行社のアンケートを記入した。そのあと、帰るための荷物を整理し、23時ベットへ。
 
4月19日(水) 晴    ヨハネスブルグから香港へ
 6時過ぎ目が覚める。いよいよ今日は帰国となると思えばなんだか嬉しいような寂しいような複雑な気持ちとなる。ただ良いことは、今まで二人とも大きな体調崩しをしておらず元気に帰れると思えば嬉しい。あと少しなので気持ちを引き締めて・・・・。
 ドアの下に3回目のレポートが入っており、4/16から4/18まで、13ページから18ページでした。
 6時30分、今旅行最後のモーニングコール。添乗員さんも元気そうであり、こちらも「よろしくお願いします」と返答。
 ホテル出発が遅いので朝食を7時に食べに行く。兄たちも間もなくきて一緒に食べたが、3日間料理は全然替わっていないように思えた。
 8時、荷物をドアの外に出す。出発まで時間があり、添乗員さんから以前配っていただいていた味噌汁を戴いたりして部屋で過ごす。
 ロビーに9時集合、バスに乗りケープタウン空港へ。9時30分に到着。ドライバーのアンドリューさんやガイドのスゼットさんともお別れである。スゼットさんは6月に九州と関西へ教師をされているご主人と旅行をされるとか。
 パスホートを渡してチェックイン、荷物を一人一人確認して11時10分まで自由行動。
  14番ゲートで搭乗券を受取り、11時40分SA332の機内へ。11時55分離陸し一路ヨハネスブルグへ。12時20分頃にはサンドイッチや飲み物が出た。13時30分、ヨハネスブルク゛空港に着陸。たびたび乗り換えたこともあり、珍しくない空港風景に思えた。
 乗り継ぎで香港まで飛ぶ飛行機には時間があるので、16時まで自由行動となる。空港内のお店でお土産のカップを求めた。
 16時集合し、状況確認。16時10分にはSA286の機内に入る。長時間飛行なので空席確保が必要。私は運良く、通路を挟んだ横の座席2席に人が来なかったので確保できたが、兄は結局1席で我慢をしていた。
 17時20分ヨハネスブルグ空港を離陸、一路香港へ。
 
4月20日(木) 晴    日本へ
 4時頃機内の灯りがともり、起こされる。4時30分朝食のオムレツなどいただく。
 5時00分、時差調整で、AM11時とする。(香港-日本で6時間)
 12時05分、香港着陸。12時30分空港内へ。13時パスポートを渡して手続きをしてもらう。
 13時20分、チケット配布。14時30分、JL732(日本航空)の機内へ。15時03分離陸する。15時30分、飲み物サービス、で赤ワインを頂くが、南アフリカ航空のワインの方が断然美味しく感じた。ちなみにJALはフランス製とある。17時55分、時差調整で+1時間、18時55分とする。19時28分、無事成田空港に着陸した。18日間の長旅もこれで終わりだ。気温16℃、天候 晴のアナウンス。
  ターンテーブルから荷物を受け取り、皆さんともお別れの挨拶をし、20時ABC宅配へスーツケース1個を預け、20時14分発の京成線に急いで乗り込み東京都内へ。
 21時40分頃から兄弟4人で今回の旅が楽しくできたことに感謝し都内某所(?)で祝杯をあげました。久しぶりの日本食、特に刺身は本当に美味しゅうございました。
 お互いお疲れさま、そしてお世話になりました。ホテル泊
 

4月21日(金) 晴    自宅へ
 
羽田を午後の飛行機で発ち、地方の空港経由で夕方無事自宅に帰りました。
 健康で旅ができることはとても喜ばしいことです。今回もとても楽しい旅の18日間となりました。ご一緒したみなさんいろいろありがとうございました。I 添乗員さんお世話になりました。

4/21自宅玄関の新聞や郵便物
 
留守中の新聞や郵便物です。
楽しいあとにはいろいろ大変なこともありました。でも自宅へ帰ればまたいいなーと。 
 
  
  なお、時間等詳しくは妻がつけていたものや写真そして添乗員さんのレポートを使わせていただきました。 
 
データー
・ 今回移動した距離 飛行機と自動車(乗用車とバス)で計40.247㎞。地球を一周以上。
・自動車のみでも、3.502㎞だったようです。もちろん未舗装道も多かったですよね。
①~⑮の数字は、私たちから覧た旅行中に起きた事件・事故・ハプニング?などでした。

 

長い文章をお読みいただき本当にお疲れさまでした。誠にありがとうございました。
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